指摘されるまで気付かなかったが、「関西の人間は何かとけちをつける性質を持っているね」と言われた。
例えば服を買いに行き、「この服どう?」と尋ねれば「いやもっと濃い色の方がいい」だの「俺ならこのズボンと合わせるけどな」だのと何かとすんなり「いいと思うよ」とは言わない。
逆に言われる側でもそうで、「いいと思うよ」と言われると素っ気無さを感じ、拍子抜けしてしまう。『あまりよく見ていない』→『良さがわからない』→『悪さもわからない』→「いいんじゃない?」というイメージが無意識下で展開され、「適当に流してるんじゃないの?」と思われる事を想像してしまうと無理矢理仮定してみる。
「俺は見てるゼ!」→『何か言わねば』→『ビバ!粗探し』となるのではないか? と無理矢理こじつけてみたがどうか?
つまりは『指摘』=『愛情』なのだと無理矢理こじつけてみたがどうか? 考えてみると、日常生活においてもそのような例をよく見かける。いわゆる『ツッコミ』というやつだ。
「俺はお前を見ているゼ」→『こんな所まで見てるゼ的意思表示(ツッコミ)』→『さらに笑いもとれてラッキー!おいしいヨ!』とすると、ネタにされても「おいしい!」と思うのは、『笑いとれてラッキー!』だけではなく、「お前はこんなにも俺の事を観察してるのか…(妄想」→『愛情として解釈』→『まんざらでもないな…』なのかも知れない。
と無理矢理こじつけてしまうのはやっぱり俺のドーパミンが活発だからなのですか? と、いうワケで、関西の人が何かと人をいじるのはラブなのだと知っておいて欲しい。そして、関西以外の人がいじられ慣れてない事も知っておかなければならない。
と無理矢理こじつけてみたがどうか?
著者:香助総支配人 マルマル関西【カスケが斬る!】