鬱である。
何が鬱かと言うと人の目が気になる。周りの噂が気になる。自分の将来が気になる。気にならないと思いたい。そう思いたい。でも気になる。気になって仕方がない。でも何も出来ない自分。
前回『疲労自慢』というヤツを書いたが、どうやら肉体的なものだけではないらしい。これもまた、「精神的な苦痛がある」=「耐え忍ぶ自分」という姿があるのかも知れない。かと言って解決するすべを見出すわけでもなく、悶々とした生活を続ける。いつも欧米と比較するようで気が引けるのだが、諸外国では精神的な苦痛は『カウンセリング』というものを受けてなんとかするそうだ。
前回の文と重複するが、「自分のストレスをコントロールできない」=「社会的に恥ずべき事」という認識のようである。しかし、この「恥ずべき事」という認識が邪魔をして人に言えない、というのもまた事実であり、またその認識からか精神的な相談をする事を疎んじる傾向にあり、カウンセリングに対する理解の無さ、ひいては精神分野の発達の阻害に拍車をかけているかのようにも思われる。また日本特有の『堪え忍ぶ文化』の所為か、なかなか人には打ち明けられないため、苦痛は解消できず、苦悶を繰り返す日々を送る。
しかし、いつしかそんな苦痛に慣れてしまい、何となく過ごし、何となく遊び、何となく悩み、そんなもんさと思って暮らす。そしていつも、無意識のうちにつぶやいている自分がいる「疲れた」。
それはきっと心のSOS。人に拠ることは難しい。けれど、誰も、一人では生きていけない。
著者:香助総支配人 マルマル関西【カスケが斬る!】